2016-12-24

現在社会では静かに「言葉狩り」が始まっている現状を知れ


アメリカでは「ポリティカル・コレクトネス」と言って、政治的に間違いのない言葉遣いをしようという運動がある。

「政治的に間違いのない」言葉遣いというと意味がよく分からないが、あまり良くない言葉を差別や偏見が含まれていない言葉に言い換えようとするものだ。

たとえばアメリカでは女性に対して、未婚者を「ミス」、既婚者を「ミセス」という言葉を使ってきたが、これは差別なので止めようという運動をフェミニストが行った。

なぜミスやミセスが差別なのかというと、「男は未婚者も既婚者もミスターなのに女性だけが結婚で分けられるから」というのがフェミニストの見解だった。

フェミニストは「ビジネスマン」も差別用語であると主張している。働く女性もいるのだから「マン」で一括りにするのは差別という理屈だ。

これを差別なく言い換えるためには「ビジネスパーソン」と言わなければならないのだとフェミニストは強烈に主張する。そう言わない男はマッチョ主義で根底に差別意識を持つ男だということだ。


何も考えずに話していると差別主義者になる?


時代は常に変わり、それにつれて人々の常識も変わる。こうした言い換えは時代に即しているものもある。しかし、中には「変える必要があるのか?」と議論を呼ぶものもある。

ポリティカル・コレクトネスによると黒人を「ブラック」と言うのも差別である。「アフリカ系アメリカ人」と言わなければならないというのだ。

しかし、ブラックというのは差別なのかどうかは黒人側からも疑問を呈する人も多い。

1960年代に時代を席巻した黒人たちによる公民権運動の戦いは黒人自らが「ブラック・パワー」と呼んでいた。ブラックは差別用語だと言うと、当の黒人自身も当惑する。

現在のアメリカで議論を呼んでいるのは「メリー・クリスマスを使うのは、他の宗教を信奉している人たちに対する差別だからハッピー・ホリデーを使おう」というものだった。

アメリカにはイスラム教徒もいればユダヤ教徒もいればその他様々な宗教を信じる人がいる。

だから、「メリー・クリスマス」というのは多様な宗教を信じている人たちに対する差別になり得るので正しくない、とリベラルは強く主張した。

そのため、クリスマス・パーティーはホリデー・パーティーになり、クリスマス・カードはホリデー・カードになった。

同時に、様々な店が「クリスマス」という言葉を排除し、スターバックスでもクリスマスのときに特別に使っていたクリスマスツリーのデザインを止めてしまった。バラック・オバマ大統領も「ハッピー・ホリデー」を使っている。

こうしたポリティカル・コレクトネスによる「言い換え」の強制は多岐に渡ってる。そして、これに従わない人間は「差別主義者だ」と罵られるようになっている。

「メリー・クリスマスと言えるようにする」


今までのように何も考えずに気楽に話していると、常識のない差別主義者にされてしまうのだからたまらない。アメリカ人は徐々に閉塞感を感じ、言いたいことも言えなくなっていた。

それが今のアメリカの現状である。

そのため、ドナルド・トランプは「自分が当選したら、クリスマスにはメリー・クリスマスと言えるようにする」とポリティカル・コレクトネスの強制に真っ向から反対して、ここでも熱狂的な支持を得ていた。

「ハッピー・ホリデー? クリスマスはクリスマスだ。メリー・クリスマスと言って何が悪いんだ?」

このドナルド・トランプの言動に、アメリカ人の多くはほっとしている。「メリー・クリスマスと言えるようにする」というのは逆に言えば、もう「メリー・クリスマス」さえも言えない時代になっているということだ。

ポリティカル・コレクトネスは「現代の言葉狩り」であると、多くのアメリカ人は危惧していたのである。

もちろん、本当に差別的なニュアンスが含まれている悪質な言葉は言い替えや代替用語かあって然るべきだ。

しかし、こうした言葉の言い換えも限度や常識があって、「メリー・クリスマス」のような言葉すらも差別の対象にしてしまうというのは明らかに行き過ぎである。

それは文化否定にもつながるし、伝統破壊にもなる。

アメリカは理想を追うのを是とする国で、いったんそれが理想だと考えたら、極端なまでに理想を強制する社会を作り出しやすい。

アルコールが駄目だと言ったら禁酒法、タバコが駄目だと言ったらタバコ狩り、といろんなところで行き過ぎる。ポリティカル・コレクトネスもまた、どんな些細な言葉も「差別」ということになってアメリカ人をうんざりさせている。

言葉狩りをする人間こそが差別主義者である


ポリティカル・コレクトネスという正義を建前にした「言葉狩り」の流れは、もちろん日本人の知らないところで日本にも入ってきている。

それは「今から言葉狩りをします」と言って入れるわけではないので、ほとんどの人は気付かない。しかし、それでも日本でいろんな言葉が使えなくなっているというのは実感としてあるはずだ。

スチュワーデスは「フライトアテンダント」「キャビンアテンダント」、肌色は「うすだいだい色」、保母さんは「保育士」、精神分裂症は「統合失調症」……。すべて変わった。

そして、やがてこうした「正義を建前にした言葉狩り」は、障害者を「障がい者と書け」とか「障碍者と書け」というものになったり、「子供」は「子ども」にしろとか、言いがかりのようなものにまで発展している。

なぜ「子供」が駄目なのかというと、「供」という字が「お供え物」というイメージを抱かせるからで、それが差別的な印象を与えるからだと説明される。

しかし、日本人の99.9%は「子供」が差別用語だと思っていないし、そんな発想すらもない。一部のフェミニストがそう思ったからというので日本の伝統的な言葉を思いつきのように破壊しているのである。

「子供」は差別用語ではないとして文科省は「子供を使う」と表明しているが、朝日新聞みたいな日本文化破壊を目指すマスコミは「子ども」を使って喜んでいる。

こんな日本文化破壊の「マスゴミ」に乗せられて、普通の人も「子供」を「子ども」と書くようになっているが、別にマスコミの文化破壊と言葉狩りを私たちが手伝う必要はない。

変えていくべき言葉もあるのは事実だが、どさくさに紛れるように何でもかんでも「差別」ということにして、本来は差別でも何でもない言葉さえも「言葉狩り」で狩っているという現状に気付いている日本人は少ない。

「言葉狩り」で日本文化が静かに消されようとしている現実に日本人も気づくべきだ。言葉狩りをする人間こそが差別主義者である。



「子供」は差別用語ではないとして文科省は「子供を使う」と表明しているが、朝日新聞みたいな日本文化破壊を目指すマスコミは「子ども」を使って喜んでいる。


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