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2017-03-13

「贅沢三昧と娯楽」で愚かになるというのは証明されている


強大な国家が自壊する理由は、国民が豊かさに酔い、傲慢になり、苦労や苦痛を避け、食べることと遊ぶことだけに夢中になっていくからであると言われている。

詩人ユウェナリスはこれを「パンとサーカス」と言った。

パンというのは食料や贅沢三昧、サーカスというのは娯楽を象徴している。何でも好き放題に食べ、娯楽に溺れ、楽しいことばかり追及する享楽的な姿勢を揶揄する言葉が「パンとサーカス」だ。

強大な権力を誇ったローマ帝国は、結局のところその強大さに溺れた市民が次第に「パンとサーカス」で腑抜けになっていく中で自壊した。

帝国の支配者は、市民が「パンとサーカス」に溺れていく姿を見て危機感を覚えていたのだろうか。いや、逆に積極的に市民を「パンとサーカス」に溺れさせていた。

なぜか。市民が贅沢やら娯楽にうつつを抜かしている間は、政治のあり方や支配者の腐敗に怒りの矛先を向けることがなく、したがって支配が容易になるからである。

支配者が権力を維持して長く君臨統治するためには「市民に政治を忘れさせればいい」というわけだ。自分たちの保身のために「食わせて、遊ばせた」のである。


「つらいこと」をアウトソーシングして滅亡


ローマ帝国の市民たちは、国が強大になるにつれて、次第に働くことも戦うことも嫌うようになった。労働はつらい。戦争はもっとつらい。誰もつらいことをしたくない。

そこで、その「つらいこと」をアウトソーシングするようになった。

労働は奴隷にやらせた。そして戦争は傭兵にさせた。そして自分たちは、たらふく食って与えられた娯楽で楽しんで贅沢三昧に人生を過ごしていたのである。

「たらふく食う」というのは比喩でも何でもない。貴族階級はたらくふ食うために宴会に6時間以上もかけていた。

世界中から掻き集めた奇妙な珍味を集めて食べて食べて食べまくり、食べきれなくなったら嘔吐してまた食べるのが通例となった。嘔吐するための道具すらも最初から用意されていた。

上から下までそれくらい「たらふく食っていた」のである。

そのような事情が分かれば、「パン」というのは単に食べることだけを指しているのではなく、贅沢三昧の比喩であることも分かるはずだ。

結局、この「パンとサーカス」が蔓延することによってローマ帝国は次第に軍事費や贅沢な施設の維持費で莫大な財政赤字を計上するようになり弱体化するようになる。

しかし、ローマ市民は膨れ上がる財政赤字にも危機感を抱かなかった。「パンとサーカス」で忙しくて、誰も国がどうなるのか考えていなかったからである。

支配者が与えてくれた「パンとサーカス」で、完全に人間としての資質を台なしにされてしまっていた。食べて遊んで寝ることくらいしか関心がなくなっていたのだ。

ローマ帝国は没落して東から台頭してきたオスマン帝国に占領され、国は分裂し、贅沢三昧は吹き飛び、栄華もすべて消え去って歴史の藻屑と化した。

支配者層が国民の歓心を得るために「パンとサーカス」を与え、それを支えるために財政赤字が膨らみ、労働や防衛という大切なものも他にアウトソーシングするようになったら、もうその国は終わりだということになる。

国民を馬鹿に仕立て上げるのが衆愚政策である


国民が政府の与えてくれる福祉に寄りかかり、政府が国民の人生の「揺りかごから墓場まで」面倒を見るようになって衰退していく例は「7つの海を支配した」と言われる強大な大英帝国も同様だ。

支配者層は自分たちの権力基盤を強化するために、「国民の歓心を得て、同時に政治を忘れさせる」という方策を取る必要がある。そのために何が効果的なのかは、すでにローマ帝国が手本を示している。

国民には「たらふく食わせ、娯楽を与える」ことで自分たちの支配基盤を高めるのである。

これを「衆愚政策」という。

為政者にとっては、自分たちの権力や政治に目を光らせて不正や汚職を批判してくる「聡明な国民」は邪魔なだけである。政治に関心を持って、不正を許さない反骨精神を持った市民は脅威なのだ。

だから、自分たちの権力を維持するためには「国民が馬鹿な方が都合がよい」という発想になる。自分たちに刃向かわないように働かなくても飢え死にしないようにして、後は娯楽で腑抜けにさせていく。

この発想に基づいて、国民を「積極的に馬鹿に仕立て上げる」のが衆愚政策だった。馬鹿は統治しやすい。そういう意味だったのである。

人間は時に気晴らしが必要だし、たまには暴飲暴食もしたくなれば、おいしいものも食べたくなる。

しかし、連日連夜のようにグルメにうつつ抜かし、娯楽にまみれていると、それが人間の資質を破壊してしまうのはよく知られている。

さらに働かなくても福祉で食べていけるというのであれば、なおさら人間が駄目になる。

まわりが「パンとサーカス」に踊っている時


衆愚の「愚」は、もちろん「愚か」であることを意味している。「パンとサーカス」を与えるのが衆愚政策であり、それは歴史的に見てもかなりの効果が見込める。

逆に言えば、愚かになりたくなければ「パンとサーカス」にまみれた生き方をしているといけないという単純な教訓が浮かび上がってくる。

では、現代人はローマ帝国の教訓から学んで「パンとサーカス」にうつつを抜かさない人生を送っているのだろうか。私たちはグルメだ、遊びだと、騒いでいないだろうか。

現代の衆愚政策は「3S」で成し遂げられると言われている。3Sとは「スポーツ、セックス、スクリーン」のことだが、スクリーンというのは「映し出されるもの」の象徴だ。

映し出されるものは、映画であったりテレビであったりゲームであったりするのだが、それはすべてスクリーンを介して手に入れる娯楽である。

朝から晩までテレビの前に座って痴呆化していく老人を見ても分かる通り、スクリーンは実に強烈な衆愚政策の道具となりやすい。テレビなどはまさに現代のサーカスであるとも言える。

私たちはこんなものに溺れていないだろうか。

社会は多くの「パンとサーカス」、すなわち贅沢やら娯楽を提供してくれており、それはとても魅惑的に見えるのかもしれない。自分を夢中にしてくれるかもしれない。

しかし、「パンとサーカス」にどっぷりと溺れて抜けられなくなっていくと、やがては愚かさが忍び寄って操られるだけの人間になっていく。

「パンとサーカス」は罪のない顔をしてやってくる。しかし、それに浸ると、ドラッグ依存症の患者のように人生を破壊されていく。

それは、罠だったのである。

まわりが「パンとサーカス」と踊っている時、危機感を持ってそこから遠ざかっているのが正しい。「パンとサーカス」から遠ざかることによって、衆愚の中でひとり目が開く。



まわりが「パンとサーカス」と踊っている時、危機感を持ってそこから遠ざかっているのが正しい。「パンとサーカス」から遠ざかることによって、衆愚の中でひとり目が開く。


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