期間限定・数量限定キャンペーン

2017-04-03

何も考えないで生きていると、必ず誰かに「モノ化」される


人間は考えることを止めても生きることができる。どうするのか。支配してもらうのである。国に支配してもらい、会社に支配してもらい、親に支配してもらい、言われた通りにする。

そうすれば、自分で何か考えたり、決断したり、行動したりしなくてもいい。

独裁国家は考える人間を排除し、考えない人間だけを作り出し、そしてその「無脳集団」を自分の思う通りに動かして独裁を完成させる。(独裁者が誕生するのは、独裁して欲しいと思う人がいるから

自分で考えないで生きるというのは、誰かの駒になるということである。人間社会は昔から、考える人間が考えない人間を支配することで成り立ってきたのだ。

それは、今も社会の中で公然と行われており、これからも続いていく。考えない人間は誰かに都合良く動かされ、要らなくなったらゴミのように捨てられる。

独裁者は国民を使い捨てにするし、ブラック企業は社員を使い捨てにする。考えない人間は奴隷のようにこき使われて、ゴミのように捨てられる。何も考えないと、必ず誰かに「モノ化」される運命が待っている。

人間のモノ化とは、抽象的な概念ではない。文字通りの意味である。人間が人間扱いされない。生きた人間そのものが「商品」や「物体」として認識され、効率的に使い捨てされるようになっていく。誰がそうなるのか。考えない人間だ。


考えないで生きていると、必ずモノ化される運命


4月になったら、多くの新卒の学生が新入社員としてどこかの会社に入る。何か目的を持って会社に入ったというよりも、まわりに合わせて自分もそうした人も多いはずだ。

何も考えないでまわりと同じようにやっていると、必ずモノ化されることになる。企業が労働者をモノ化するというのは昔から行われていることであり、すでに労働者をモノ化する手法は確立されているからだ。

労働の世界で、企業が人間をモノ化するのは今に始まったことではない。

映画『モダン・タイムス』では、チャーリー・チャップリンが強烈な風刺でそれを世に知らしめて、この映画はチャップリンの代表作になった。

日本でも「女工哀史」に見られるように、女性が機械の部品のように扱われて労働者の「人権」はどうなっているのかと世の中が嘆いた。(日本女性が忘れた女工哀史は、途上国ではリアルタイムだ

そういった極度な労働強要はやがて姿を消すようになったが、しかし1980年からグローバル化が加速していくと、それが見えない形で復活するようになった。

まず、強制労働は途上国の、誰も見ていないところで急速に広がることになった。

中国・インド・バングラデシュでは、子供たちが薄暗く、暑く、埃の舞う衛生観念のないような場所で14時間もぶっ通しで働かせられるようになった。(児童労働。アジアで知り合った子供たちの顔を何人も思い出す

それが常態化すると、今度は先進国で労働者の賃金格差が起きて、アメリカでは高学歴の人間がファーストフードのデリバリー、若年層はインターンという名の無償労働が起きるようになった。

そして、日本では大量に若者を採用して、つぶれるまで働かせて使い捨てするブラック企業が大量発生するようになった。

人間性を奪い取って、機械の部品のように働かせるのは、紛れもなく、人間の「モノ化」という視点がそこにあるからだ。

ポルノの世界でも、日に日に女性がモノ化していく


こういった表社会で起きている「モノ化」の視点は、もちろん裏社会にも波及している。

たとえばインターネットの普及によって凄まじく粗製濫造されているポルノは、もはや女性との出会いや愛からセックスに至るというような「まどろっこしい」描写は消えた。

欧米でも日本でも、ポルノが蔓延すればするほど、もっと剥き出しに、もっと過激に、もっと激しく女性が陵辱される行為を望んだ。

それが突き進んだ結果、普通の快楽ではもう飽き足らなくなり、過激表現はどんどん突き進んで、ポルノは暴力になる。性行為を通して、暴力的なまでに女性を痛めつけるような過激描写になって、それが喜ばれている。

そこでは女性の意思はないし、あったとしても尊重されない。これは何を意味しているのか。もちろん、女性の「モノ化」である。

その大きな流れの中で見ると、女性がどんどん「モノ化」されていることが見えてくる。本当に女性を「モノ化」するには、究極的には女性を「殺す」ことにつながる。

女性が死ねば、女性の肉体は一個の物体になる。完全なるモノ化の完成だ。

今はまだ信じられないかもしれないが、いずれは女性を殺して死姦するポルノが作られることになる。なぜなら社会が「人間のモノ化」「女性のモノ化」を望んでいるからだ。

そういった目で見れば、最近になって大量に起きるようになった女性の人身売買や拉致監禁事件の本質がどこにあるのかが分かってくるはずだ。

それらは「女性のモノ化」にあったのである。

誰かをモノ化すれば、自分の私利私欲が遂げられるというのを考える人間は悟っており、だから考えない人間を作り出し、そんな人間たちを自分の思う通りに動かそうとするのである。

考えることができるようになればモノではなくなる


私たちは、消費社会にどっぷりと浸って生きている。生まれてから死ぬまで、モノを大量消費することで生きてきた。大量消費するということは、大量に「使い捨て」するということでもある。

「モノを買って、利益を得て、棄てる」という行為が延々と繰り返されて、それが現代人の「物の見方」になっていった。だから「モノを買って、利益を得て、棄てる」という行為に、現代人は疑問を抱かない。

そうであれば、社会全体が人間をそのように扱おうと考えるようになるのは決して意外なことではないはずだ。現代社会がモノを使い捨てにすることを奨励しているのであれば、モノの扱いは人間の扱いにも反映されていくのである。

現に労働の現場では「労働させて利益を得て壊れたらクビにする」が徹底されている。労働のために人間がモノ化した。ポルノの現場では「性行為をさせて利益を得て女性を使い捨てにする」が徹底されている。快楽のために女性もモノ化された。

人間をモノ化できたら、自分の利益・快楽・楽しみのために、他人を消費して、要らなくなったら使い捨てできるわけだから、支配者がそれを求めても不思議ではない。

だから、何も考えずに他人に自分の人生を委ねるというのは、とても危険なことなのだ。

何も考えずに学校で教師の言うことを鵜呑みにし、みんなが行っているからとわざわざ莫大な借金を背負って大学に入り、みんなが会社に入るからと自分も会社に入るような生き方をしている人は多い。

みんなと同じように生きていたら何も考えなくてもいいので楽だ。政府も企業も親もあなたがモノ化していれば扱いが楽なのでモノ化するように働きかける。

だから誰もがモノ化して「考えない道」を選ぶ。

ずっとそんな生き方をしていたら、いずれ「自分で何も考えられない、決断できない、行動できない」人間と化す。何も考えられないから誰かに命令されるだけの人生になる。

そして、自分の人生が自分のものでなくなり、誰かにモノ化されて、良いように使われて捨てられる。

まずは自分が今、モノ化されていないかどうかを考えなければならない。そして、モノ化されていることに気付いたら、自分に問いかけなければならない。

「それでいいのだろうか?」

何も考えないで生きていると、必ず誰かにモノ化されることになる。逆に言えば、考える力を取り戻すとモノ化から脱却できる。考えることができるようになれば、モノではなくなる。



労働の世界で、企業が人間をモノ化するのは今に始まったことではない。映画『モダン・タイムス』では、チャーリー・チャップリンが強烈な風刺でそれを世に知らしめて、この映画はチャップリンの代表作になった。


お願い

ダークネスの本文を他サイト(キュレーションメディア、まとめサイト、個人サイトすべて)へ転載する行為は、いかなる理由があっても固くお断りします。