2017-09-07

複雑化のワナに落ちたら、そこから逃れるためにすべきこと


やることが多ければ多いほど、そのどれもが中途半端になり、うまくいっているものも、いずれ問題を引き起こしてうまくいかなくなってしまう。

荷物が多ければ多いほど、大事なものをたくさん忘れていく。付き合う人が増えれば触れるほど、ひとりひとりに対するケアができなくなる。

仕事も経営も商品もそうだ。やっていることが複雑になればなるほど、自分の掌握できない部分や、見えない部分がどんどん増えていき、最終的には問題が起きても対処できなくなってしまう。

どこで限界が生じるかは、関わっている人や組織の能力や器にかかってくるが、抱えるものが増えれば増えるほど、複雑さが増していき、やがては対処できなくなってしまう日がやって来る。

複雑なものは、それが足かせになって、やがては最後に滅亡する。いずれ、遅かれ早かれ、それが維持できなくなる。

だから、シンプルであることは大切なのだ。

世の中は常に複雑さを志向しているが、複雑だから優れているわけではない。複雑になればなるほど、その複雑さに対応できなくなって脱落していく人が増える。


なぜ、誰も使えないほど複雑化してしまうのか?


しかし、そういった脱落していく人を無視して、世の中も製品も社会のあり方も人間関係も、ありとあらゆるものが複雑化していく。

企業は素晴らしい製品を作ると、やがて余計な機能をあれこれと山ほど付与して複雑なものにしていく。日本の製造会社にその傾向が強い。付加価値を付けてどんどん奇怪な製品になっていくのである。

最初はそれでいいかもしれない。誰でも目新しく新しい機能は大好きだ。

しかし、限度がある。機能が大量になりすぎると、説明書を読んでも製品が使えないようになり、やがてその複雑さが元で捨てられる。

なぜ、製品を複雑にしてしまうのか。

それは、サラリーマンが仕事をしているという成果を見せるためだと言われている。新しい付加価値を付けていないと、何をしに会社に来ているのだと言われる。

逆に今まであった機能を削減すると、これまでやってきたことは間違いだったと思われる。だから、自己の保身のためにどんどん機能を追加して「仕事をしている」というアピールで複雑化に向かう。

さらに対外的にも、新しい機能は新しい成果として誇示しやすい。だから、ユーザーを無視して高機能化させていく。

あるいは、あれもこれも機能がたくさんあった方が、営業的にも高機能で売りやすいという目論みもある。シンプルだというよりも、高機能だと言う方が「お得だ」と思わせやすい。

経営者も、競争が増えれば増えるほど、とにかく競争に勝てるように、いろんな機能を付与して差別化を図りたい。

こういった全員の思惑が過剰な機能を盛り込む方向を示すようになり、結果として製品がどんどん複雑化し、使いにくくなっていく。

モノをシンプル化して成果を出せるのは非常に優れた経営者だが、そういった経営者は万に一人もいない。多くの経営者は、何も考えずに物事を複雑化させていくのである。

複雑さがもたらすワナについては何も考えない


人々は、複雑さがもたらすワナについては何も考えない。

複雑化したものはメンテナンスにも手間がかかる。コストも増大し、トラブルも多くなる。スピードも遅くなり、重くなり、邪魔になり、原因不明の機能衝突が起こりやすくなる。

企業はこういった複雑さに対応するために、新しい部署を新設し、それがまた企業組織そのものも複雑化させていく。

小さな企業では誰が何をやっているのか全員が分かっているが、人が増え、組織が増えると、誰が何をやっているのか分からなくなる。

さらに、それぞれの部署が勝手に動き出して、収拾がつかなくなっていく。

複雑化した組織の解体は、その組織の抱えている仕事を清算させるということである。それもまた難しい。事業の清算は何であっても清算コストがかかり、損金が発生するからである。

つまり、複雑化したものは製品も部署も関係者もすべてまとめて複雑化しているので、それを解体することすらもできないのだ。身動きが取れなくなってしまう。

そうしているうちに、やがて時代が変わり、他社から「単機能でシンプルなもの」が現れて、いつの間にかそちらの方が人気化していく。

しかし、そのシンプルさに合わせようと思っても、いったん複雑化したものはシンプルになりにくい。機能を捨てるという決断は付けるという決断よりも難しい。

その複雑化したものが利益を生み出しているのであれば、なおさら捨てるという決断は困難になる。

だから、高機能化・複雑化したものは、やがて企業がそれを維持できなくなるまで、ずっと複雑化で暴走していくのである。しかし、それにも限界があり、やがては時代に対応できなくなって捨てられる。

複雑さに耐えられなくなって自滅する。

シンプルになることで見失ったものを再発見できる


こういった複雑さは、人間関係にも表れる。人間関係は多ければ多いほど良いというものではない。

ビジネスの現場では人脈が重要視されているようだが、見境いなく片っ端から人とつながっても、人間関係が複雑になっていけば、どんどん厄介ごとも増えていく。

また、人間関係を維持するためのコストも増えていく。そして、それだけコストをかけてもリターンが得られるというわけでもなくなり、負担と義務だけが増大していく。わずらわしい義理や義務も発生する。

人間関係を増やすというのは、人生を豊かにするというメリットも確かにある。しかしその反面、自分の人生を複雑にして消耗してしまうデメリットもある。

どんなに人間関係を増やしたところで、自分の時間は限られている。関係を持ったすべての人と、対等に付き合えるわけでもない。

本来は自分の時間に当てられるものが削られて自分を見失う。そうした状況が続くと、人はそれに耐えられなくなって精神的にも肉体的にも疲弊し、破綻してしまう。

人にはライフスタイルや気質がひとりひとり違っている。だから、どれくらいの人数と付き合うかの線引きは人によってキャパシティーが違う。

しかし、誰しもが限界を持っているので、それを超えると自滅に向かうのは間違いない。結局、人間は複雑さに押しつぶされてしまうのである。

人間の営みは、放置していても、どんどん複雑化していくのは目に見えている。蓄積が増えれば増えるほどいろんなものが複雑化していくのだ。

だから、常にシンプルさを志向するというのは重要なことになる。複雑化した世の中で、見失った自分を再発見する方法があるとすれば、まさにシンプルを志向することである。

対象がシンプルであれば常に初心に返ることができるし、最も重要なものに集中できる。

日々の生活に埋もれ、流され、複雑さの中で目的を見失いつつあるのなら、要らないものを捨ててシンプルになることが望ましい。

そうすることによって、見失ったものを再発見できる。



日々の生活に埋もれ、流され、複雑さの中で目的を見失いつつあるのなら、要らないものを捨ててシンプルになることが望ましい。そうすることによって、見失ったものを再発見できる。シンプルなものは美しい。


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