2017-11-29

当たりもしない夢を見せて金を巻き上げるのが宝くじの本質


2017年11月27日、「年末ジャンボ宝くじ」が発売された。1等と前後賞合わせると10億円が当たることになる。10億円と言えば、サラリーマンが一生働いても貯めることができない途方もない額である。

宝くじの売り上げは徐々に減っている。宝くじの販売は2005年あたりがピークであり、以後はずるずると販売が落ち込んでおり、2016年度はピーク時の2割以上も売上が落ちた。

それでも8452億円も売り上げているわけで、日本人の多くは夢を託して宝くじを買っているのが分かる。

この「年末ジャンボ宝くじ」についても、発売日に売り場が長蛇の列になっているのが報道された。大阪梅田の特設売り場でも購入者が殺到しているのが映像で流れていたが、並んでいる人たちを見ると、高齢者が圧倒的に多い。

別に朝早く並んでも当たりが出るとは決まっていない。

しかし、高齢者がまるで急き立てられるように朝から並んで窓口に立っている。そして、10枚とは言わず、100枚以上の単位で買っていくのである。

この宝くじ事業を所管しているのは総務省だが、総務省が出している宝くじは「年末ジャンボ宝くじ」だけでなく、「ロト」や「ナンバーズ」等でも国民の射幸心を煽っている。


合理的に考えると、かなり詐欺に近い商品が宝くじ


宝くじと名が付くものは、そのほとんどは当たらない。それは誰もが分かっている。

確率はそれぞれ国や賞金や制度によって違ってくるが、そのどれもが絶望的なまでの確率であり、当たらないということでは共通している。

バラで買おうが、連番で買おうが、願掛けしようが、数字分析しようが、当たる確率はとてつもなく低い。宝くじに当たるより、飛行機事故に当たる方が簡単だというくらい当たらない。

0.000000001パーセントとか、そんな勝率なのである。

それほど勝率が悪ければ、合理的に考えると、かなり詐欺に近い商品であると考えても間違いない。

「買わなければ、当たらない」と言うが、実は買っても大当たりなどしないのが宝くじなのである。

普通なら手を出さないし、そんなものは見向きもされないはずだ。ところが、それがそうならないのが人間心理の面白いところで、宝くじは世界中で多くの人々が買っている。

信じられないことに、多くの人は勝率がどれくらいあるのかを計算すらしないでそれを買う。

なぜか。買うのは簡単だし、万が一当たれば、一瞬にして大金持ちになれるという「夢」が見られるからである。

普通、金持ちになるというのは、偶然でもない限り特別な才能や才覚や能力が必要だ。そのような才能があった上に、血の滲むような努力を何十年もして、やっと一部の人が到達するのが金持ちの世界だ。

ところが、宝くじは、才能も、能力も、いらない。

そんなものは何もなくても、窓口でそれを買うだけでいい。後は発表当日までそれを持っていて、数字合わせして、当たったらその瞬間に金持ちになれる。

宝くじを買うというのは、一発逆転の行為だ


宝くじが容易に当たらないというのが誰でも知っているのだが、それでも当たった人は皆無ではない。どこかに当たった人がいるのだ。

だから、「もしかしたら、次の幸運は自分が引くかもしれない」と思ってそれを買う。

しかし、宝くじに当たるのは、常に自分が知らないどこか遠い世界の人間である。自分だけは絶対に当たらない。何年買っても、何回買っても、どこで買っても同じだ。当たらない。最初から確率が低いからである。

当たらないのであれば買わなければいいのだが、それでも買ってしまうのが宝くじなのである。

アメリカの調査では、所得が低い家庭であればあるほど宝くじに多くを費やしていることが結果として出ている。

日本でもそうだ。低所得層や年金生活者、あるいは生活保護受給者の多くは、なけなしの金をはたいて宝くじを買う。

宝くじは「貧乏税」と呼ばれることも多いが、それは貧困者が自発的に買うのが宝くじだからだ。

低所得層が宝くじを買うという事実は、その心境を理解できる人も多いかも知れない。もう、低所得層はどん底に落ちており、自分には何も残っていないのを知っている。

その生活から抜け出せないことも、どんなにあがいても這い上がれないことも、心の奥底で薄々と気が付いている。

自分にできることがあるとすれば、低賃金か悪条件の仕事だけだ。それはいくら頑張っても、日々をやっと暮らせる程度でしかない。

努力や向上心を持てば何とかなるのかもしれないが、疲れ果て、面倒になって、それすらも持てない。

だから、無間地獄のようにそこから抜け出すことができず、生きることに対する自暴自棄な絶望感に見舞われる。

それで、どうするのか。

宝くじを買うのである。宝くじに賭けてみるのだ。低所得層にとって、宝くじを買うというのは一発逆転の行為だ。限りなく、自暴自棄に近いギャンブルである。

貧しいと感じている人が、宝くじをたくさん買う


金儲けにあざとい富裕層が本気で宝くじを買いまくっているという話は聞かない。お遊び程度でそれを買うことはあるかもしれないが、本気で買うことは絶対にない。

その理由は簡単だ。勝率があまりにも悪すぎて話にならないからだ。賭ける価値もないのだ。その賭ける価値もないところに低所得層が「夢を託している」のだから、それは残酷な光景である。

当たりもしない夢を低所得層に見させて金を巻き上げている胴元は総務省だが、国が率先して低所得層から金を吸い上げているのに気付いていないのが当の低所得層なのである。

踊らされている人間は、自分が踊って金を巻き上げられていることに気付かないから踊る。彼らは自暴自棄の中の一発逆転を狙っている。

逆に言えば、そこにしか現状突破できるものがない。だから、リスクを取るのである。

2008年のロイターの記事では、宝くじに関する調査を行ったカーネギー・メロン大学のジョージ・レーベンシュタイン教授の言葉を紹介しているのだが、そこにはこのように書かれてあった。

「主観的に貧しいと感じていると、人は道理に反するぐらい多くの宝くじを買うことになる」

なぜ、そうなのかは説明されなくても誰もが分かっている。すがるものが「それ」しかないからだ。自分が貧しいと感じている人ほど、まるで蟻地獄の中でもがくように、宝くじを大量に買う。

低所得層は確率で生きているわけではない。奇跡を夢見て生きている。奇跡とは確率的に言えばほとんどゼロだから奇跡だと言う。

だから奇跡というのは、別の言い方では「非現実的」と言い換えることができる。

現実的に考えて生き残らなければならない時代に、非現実的なものに夢を託すほど無意味なことはない。社会が仕掛けるワナに落ちたくなければ、こうした非現実的な確率のものを自分から遠ざけるのが第一歩となる。



現実的に考えて生き残らなければならない時代に、非現実的なものに夢を託すほど無意味なことはない。社会が仕掛けるワナに落ちたくなければ、こうした非現実的な確率のものを自分から遠ざけるのが第一歩となる。


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